付き合っている大学生志摩雪。同居してます。
「春までは、まだ。」とか「コンビニおでん」と同設定ですが、単品でもお読み頂けるかと。
志摩誕に何もできないのも寂しくて、標的で無配したものの再録。
御祝話でも何でもなくてすみませ…。
でもいちおう、何もないよりはと志摩誕祝いに上げときます!
雪男誕の時は諦めなかったのに今回諦めいいとかそんなのは愛の差じゃないですよ?
※大学生志摩雪、京都で同居設定※
大学四年の夏。
三年までに順調に単位を取ってしまった志摩は、卒研の傍ら気ままに好みの単位を取りつつも、既に祓魔業を兼務していたのでそこそこに忙しい日々を送っていた。
不景気の中ありがたいことに、卒業後の就職先は京都出張所に早々に決まっている。決まっているというか、それはむしろ、生まれた時から決められていたこと、なのだが。十代の頃はそんな家のしがらみに反発心を覚えたこともあったが、今となってはそのお陰で得られたものの大きさに感謝さえしている。
祓魔師を目指していなければ得られなかったものはたくさんあるが、やはり何より、これから帰る先で待っている恋人がその筆頭だ。
祓魔師を目指すために入った学校、祓魔塾で出会った志摩の恋人、奥村雪男とは高校一年の夏の終わり頃からの付き合いで、恋人となってそろそろ六年になる。色んなものを諦めて生きていた雪男は、たぶん、当初は志摩とこんなにも長く続くとは思っていなかっただろう。それが相変わらず二人で居るのは、ひとえに志摩の努力の賜物である。何かあれば身を引こうとする雪男に、離れたくなんてないから時に強引に押す事もした。この同居もその一つだ。
高校卒業後は、不浄王の一件もあり、京都に帰ることの確定していた志摩は、雪男とは遠距離恋愛になるのだと思っていた。それでも自分の気持ちは変わらないが、雪男はどうだろう、まさか別れるなんて言われるのではと危惧しつつも京都へ戻ると告げたあの日。けれど雪男の瞳が離れたくないと言っていたから。勝手にも、雪男が京都の大学に進学すればいいのだと告げていた。
そして結果、志摩と離れないために京都の大学への進学を決めたはずの雪男は、けれど最後の最後で、一人暮らしをするのならば一緒に住んでしまおう、という志摩の提案は拒んだ。さらには、東京・京都間の距離を物ともしない、超ブラコンな兄の鉄壁のガードにもあったわけだが。聞くも涙語るも涙のそのエピソードについてはまたどこか別のところで語るとして、とにかく、怖がりの雪男が踏み出せない一歩に、わかったと口先だけの嘘で告げて、結局こうして志摩が転がり込んで今に至る。
一緒に暮らし始めて三年。最初はことある毎に家へ帰れと言われたが、今ではキチンと家賃光熱費も入れて完全なる同居生活を送っている。当たり前のように恋人の元に帰るのは、離れないのだというはっきりとしたアピールで、最近になってようやく、自然に帰りを受け入れる雪男にほっとする志摩だった。たとえそれが諦めに近いかたちであったとしても、だ。
とにかく。単位が足りない、就職口が決まらない、と慌てる者も少なくない中、順風満帆に万事が進んでいるように見える志摩だが。
ひとつだけ、悩みがあった。
聞きたくて聞けずにいる。
言いたくて言えずにいる。
できればこのまま何事もなかったように過ごしてしまいたい。波風を立てずに今の生活を守れたらいいのに。
だが避けては通れないのだ。
手に入れるためには、さすがにそろそろ行動を起こさなければならない。
(今日こそ…言わな)
志摩と雪男がもう三年以上暮らしている部屋は、格安物件のため駅からは少々歩く上に、坂道が続く。
歩くといっても十五分程度で、体力のある志摩には難のない道程だ。
日が落ちてもなお暑さの残る空気を切って走った。
学生業は落ちついたものの逆に祓魔業が忙しくなってきた志摩と違い、日本支部を離れたことも幸いして、在学中は祓魔業はほぼ休業することとなった雪男は、今日は家に居るはずだ。とはいえ、予定をすし詰めにするのが趣味だという恋人は、祓魔業も依頼があれば断らないし、学業でも医工騎士の資格のおかげで免除されている基礎授業分も、他のことを詰め込もうとするから、遅くまで大学の図書館に詰めていることもしばしばだった。
熱中すると、連絡どころか己のこともおろそかになる雪男に何度か期待を裏切られている志摩は、今日はどうかなと見上げた。そうして灯りの点いた部屋を見つけて、ほわりと志摩の心にも何かが点る。
志摩の宝物がそこにある。失くしたくないものが、この部屋には詰まっている。
ちりん、と鈴の音を響かせた合鍵にぶら下がる、神社で買った根付けに、一つ願いを込めて呼吸をした。
「ただいまー」
いつも通りを装って、ドアを開ける。
「おかえり」
ずいぶん近くから声がすると思ったら、雪男はドアを開けてすぐのキッチンに立っていた。
ちょうど今出来上がったところなのか、皿の上の炒め物は湯気をあげている。
「今から夕飯?」
「うん。多めに作ってあるけど、食べる?」
「食べる食べる! もー腹ペコやったから、めっちゃ嬉しい!」
フライパンに残していた分も皿に盛っていく雪男を横目に、自室に鞄を放り投げた志摩は二人分の茶碗を用意した。
雪男の分は普通に、自分の茶碗には山盛りに米を盛る。
確実に自分の分も見越して用意されていた食事が嬉しい。
今日起こったあれこれを話しながら食べる夕食は、格別だった。
「あー! 食うた食うた!」
二人分には多すぎるほどに盛られた料理は綺麗に片付き、家事分担の暗黙了解のもと、志摩は使った食器の片付けを始めた。
今日は油物だったから、早々に洗っておいた方がいい。それに、この立ち位置ならば、顔が見えないからちょうどいい。今から言うことを冗談にするつもりはさらさらないが、勇気が要るのも事実。雪男に隠れて大きく息をすると、背後でテーブルを拭く雪男に声を掛けた。
「なあ。雪は、大学卒業した後どうするん?」
四年前。
これは、内容的には雪男に言われた台詞だ。
雪男がらしくもなく、志摩に全ての答えを委ねた台詞。
あの時は、あの時点では、卒業したら二人が遠距離になることは変えがたいことだと思っていた。もちろん、離れていたって恋人だということは変わらないという思いはあったけれど。実は、あの一瞬まで、志摩は雪男との今のような生活を考えてはいなかった。
『卒業して寮を出た後、京都に戻って、どうするの?』
そう聞いた雪男の瞳が、志摩に求めていたもの。
それを見た瞬間。
同じものを自分も求めているのだと、志摩は悟った。
その瞬間までは、二人の中にあったのは紛れもなく『恋』だった。いや、雪男の中では、その後もしばらくは『恋』だったかもしれない。志摩が行動を起こして、二人で暮らし始めて。そうしてようやく、雪男は自覚したのだと思う。
二人の間にあるものが、恋なんて生易しいものではないことを。
離れてはいけないと思った。いや、離れられるはずがなかった。お互いにお互いをこんなに必要としているのに。止め処無く溢れる気持ちに際限なんてなくて、もっともっとと貪欲に湧き出るものに、逆らえずに手を引いた。雪男だって、気持ちを認めて、志摩の伸ばした手を取ったはずだ。
しかし、つらつらと志摩が思い返している間も、雪男からの返事はなかった。
シンクに流れる水音がやけに大きく響く。
「…前にも言うたけど。俺はこのまま京都出張所勤務になる。けど、実家に帰るつもりはないし、それで、それでやな」
あの頃とは違う感情を自覚している今。
離れることは考えていない。
それでも。
平凡な能力しか持たない志摩と、その頭脳をヴァチカンにも買われている雪男では、立場が違う。
明陀という組織に順ずることは決まっているとはいえ、「これから社会の中にあるためには、祓魔業だけやなくて、いろんな知識を身に付けておきたいんや」と尤もらしいことを言って勝呂や子猫丸とは離れて社会学の大学に進学するくらいの自由は与えられている志摩には、今のところ何の障害もない。
でも雪男は。
最近はだいぶ風当たりもよくなったとはいえ、『魔神の落胤』を兄に持つ雪男への圧力が無くなったわけではなかった。
兄という人質を取られているに等しい雪男は、騎士團からそう簡単に抜け出せるものではない。
現に、雪男の沈黙がそれを物語っている。
重苦しい沈黙の中、志摩は唯一音を立てていた蛇口の水を止めた。
雪男の方を振り返り、一つゆっくりと瞬きをする。
「俺は大学卒業した後も、雪と暮らしたいと思うてる。雪は?」
真っ直ぐに瞳を見て伝えた。
通常六年かかる医学部だが、授業免除やスキップをして、今年度で卒業見込みということで受けた国試で既に雪男は医師免許を取得している。けれど、就活だなんだと騒ぐ周囲を横目にまだ何の活動も始めていないように見える雪男に、志摩はずっと不安だった。
置いていかれるのではないか、と。
雪男だって、志摩と離れることを望んでいるわけはないと思う。それでも、雪男を取り巻くしがらみは、志摩には計り知れない。
卒業を控えて、雪男に対する騎士團からの圧力が強まっていることは志摩も知っていた。駒としても、不穏因子としても、手元に置いておきたいという意図ははっきりしている。大学進学時に雪男が京都に出てくるときにもひと悶着あった。たまたま、通常の医学だけでなく魔障医学にも通じるという珍しい教授が居る大学が京都にあったのと、京都出張所というそれなりに大きな騎士團の機関があったおかげで、達磨や八百造のバックアップもあり、在学中の滞在は渋々ながら許可をされたのだ。
そもそも雪男の人生だというのに、許可も何もないのだが、雪男には兄のこともあり、彼らの思惑に完全には逆らうことができない。
どんなに理不尽だと思っていても、ある程度は甘んじなければ、逆に締め付けられるだけだともわかっているので。
だから志摩は先回りして、身の置き方を、決めた。
選択を雪男に委ねるために。
志摩が望めば、きっと雪男は何とかしようとするだろう。
でも、そんなことをすれば、騎士團と何ら変わりなくなってしまう。
我儘を通して雪男を束縛することはできないと思った。
雪男に望んでもらわなければ意味がない。雪男が自ら志摩と居ることを望んだのでなければ、この想いは独りよがりだ。
男女であれば、付いて来いと一言で済んだのかもしれない。それこそいっそ、結婚でもできるのであればどれだけ気が楽か。
自分たちは法律上の繋がりが持てない。
今後二人で居るには、雪男側の障害が大きく。
…それだけの覚悟を、雪男はしてくれるだろうか。
同じ想いを持ってくれているのなら。同じものを望んでくれるのなら。
どんなことでもしようという覚悟が志摩にはある。
どうするか考える時間は与えた。
聡い雪男のことだ、志摩の思惑には気付いているはず。
だから、
(今度は雪から、手を伸ばして)
見つめる先の雪男の瞳が伏せられて、志摩は息を飲んだ。緊張に汗のにじむ手でシンクを掴むと、ひんやりと熱を奪う。
「僕は、卒業後は研修期間に入ることになる。騎士團からそう簡単に抜けることは出来ないし、祓魔師を辞めるつもりもないけれど、とりあえずはこのまま、医者になるための勉強を優先したいと思っています。だけどね、どんな道に進むのだとしても、」
ゆっくりと紡がれる言葉に、志摩は聞き入る。
瞠目の後。開かれた雪男の瞳は、まっすぐに志摩を射抜いた。
「僕も、これからも志摩くんと暮らすつもりでいるよ」
「よかったぁ~」
雪男の答えに、志摩は安堵の息を吐いた。
「本決まりじゃないから言えなかったけど、今の教授のチームで臨床研修させて貰える予定なんだ。まだまだ教えて貰いたいことは沢山あるし、…こっちに居る理由にもなるしね」
思った以上に自分との未来を真剣に考えてくれていたらしい雪男の答えに、志摩は自然と口元が緩む。
「だけど、」
「え?」
安心したのもつかの間。
強い口調に、どきりとした。
胸を撫で下ろした腕もそのまま、警戒の眼差しを向けると、思いのほか真剣な視線とかち合う。
「一つだけ、条件があるんだけど」
「…なん?」
一体どんな難題を出されるのかと、志摩が力めば。
「引越し、しよう」
今の家は狭すぎる、と。
元々は一人暮らしのために雪男が借りた1LDKは、志摩が転がり込んだことによって各々のスペースは限られていた。年々増えていくばかりの積み上がる医学書を横目に、場所がなくて重たいものを一ヶ所に纏めているからそろそろ床が抜けそうだとこちる雪男に、志摩は込み上げる笑みを抑えられない。
この部屋には二人の思い出がたくさんある。ここを守りたいと思っていた。だけど。
今度は、ちゃんと二人で選んで、新しい部屋をみつけよう。ずっと騙し騙し使ってきた一人用の小さな冷蔵庫や、引っ付かないと落ちてしまいそうなシングルのベッド(おかげで、早々一緒に寝てくれない)や、意外に使用頻度が高くて取っ手の壊れてしまった電子レンジも買い換えて。
二人なら、二人一緒なら、どんなことがあっても大丈夫。
だからどうか、
これからもずっと、君と…―――。
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