やっと志摩雪のターン。
「
始まりの日」「
始まりの朝」を読まないとわからないです。。
そして話の内容より、適当につけてしまったタイトルの方に行き詰ってます。。
3.逢着
「ん……」
重たい眠りの底から意識が浮かび上がる。
珍しく深く眠っていたようだ。うっすらと開いた目の前に映った見慣れぬ景色に、いったい夕べはどこで眠ったのかとぼんやりと雪男は考える。
平素であれば木目の天井であるはずのそこには、柔らかな布地が広がっていた。
天蓋付きの広い寝台は軟らかく雪男を包む。ぐっすりと眠ったはずなのに未だ身体が重く、その温かさに身を任せてしまいたくなる。
けれど窓から差し込む日の傾斜がそろそろ目覚めの時刻を告げていて、起き上がらなければと雪男はもぞりと寝返りを打った。
そして、
「……っ!」
見やった先にあった物体に悲鳴を上げそうになる。
まず目に入ったのはふわふわとした薄桃色の頭頂部。そろりと視線を下げれば、顔は鼻先までを布団に埋まっている。枕がなかったのか腕を頭の下に敷いて俯く顔には、そうだ、見覚えがある。
そうか、とそこでようやく雪男の頭に昨日の出来事が鮮やかに甦った。
昨日は滞りなく調停を結んだ後雪男のために準備したのだというこの部屋に案内された。
先導する女官に続いて入った広い部屋は落ち着いた調度品で統一されていたが、そこかしこに細やかな彫りや小さな飾りがあり一見して高価な物だとわかる。天蓋付きのベッドなど、大人が優に五人は眠れるだろう物だ。
ひどい扱いを受けることはないだろうとは思っていたが、己の優遇にぱちぱちと瞬きをしていると、後ろから声を掛けられた。
「あれ、荷物これだけなん?」
びくりと振り返ると、座主の前まで雪男の手を引いてくれた少年が立っていた。
へらりと笑う姿は先ほど二人無言で歩いた時の沈黙とは程遠く、人好きのするものだった。
よっ、と入り口付近に置いたままだった少ない雪男の荷物を持ち上げソファに置くと、向き直って自己紹介をしてきた。
「俺は志摩廉造言います。あんさんの世話は俺が任されとりますんで、以後よろしゅう」
「あ、僕は奥村雪男と言います。よろしくお願いします」
「坊からお客人として丁重に扱えて言われてます。足りない物があれば何でも言うてくださいね」
「……坊?」
「うちの座主のことですわ。俺ら幼馴染でな、昔っから坊て呼んどりますのや」
ああとりあえずお茶淹れますんでそこに掛けて、と言う志摩に従って椅子に座ると、彼はさらさらと見慣れない茶葉を茶器に入れていた。手馴れた仕草で軽く回した茶器から淡い色の液体が注がれるのを、自分の知るお茶とは淹れ方も違うのだなと雪男は視線で追う。
どうぞ、と湯気の立ち上る器を前に置かれ、見たことのない色のお茶に戸惑う。すん、と香りをかぐと、やはり嗅いだ事のないものだ。
「…美味しい」
おそるおそる口を付けたお茶は、砂糖を入れたわけでもないのに甘く口腔に広がった。
お茶自体も美味しいものなのだろうが、胃に広がった温かさに、雪男は自分がとても緊張していたのだと知った。ようやくほっと息を吐き、肩の力を抜く。
「そりゃよかった」
目の前で同じものを啜る志摩は、にこにことそんな雪男を見ている。あまりにじっと見てくるものだから、何だろうと瞬いた。
お茶を飲み終わっても部屋を出て行く気配のない志摩に、今日会ったばかりの人間と話すようなことも浮かばず戸惑う。
世話人としてついてくれるらしいが、だからと言ってまさか四六時中傍に居るというわけでもあるまいだろうに。
「ええとあの、」
「なん?」
「…………」
雪男が言葉を見つけられずに居る間も、志摩の視線は雪男の顔に注がれていた。
…何かそんなに注目する点が自分の顔にあるだろうか。
人種的に髪や瞳、肌の色が異なるものの、京の国の人たちは比較的雪男の国と顔立ちは変わらない。違いといえば、主に聖堂に篭もりがちだった雪男は彼らと比べて色が白いくらいだ。
まさかコンプレックスである黒子を見られているのではあるまいな、と雪男が溜まりかねて声を出す。
「…あの、僕の顔に何か付いていますか?」
「いやあ、別嬪さんやなあ思てv」
「は?」
「碧眼は金髪とセットやと思とったけど、黒髪に碧眼て賞賛に値する組み合わせやね」
「それは…どうも」
たぶん褒められたのだろうと、曖昧に礼を言う。
変わった男だと思った。
その後も大した会話をするでもなく滞在した志摩は…そう、確か「引継ぎがあるから今日は帰るな」と部屋を出て行ったのではなかったか。
それなのにどうして彼が一緒の布団で寝ているのかと雪男は混乱する。
とにかく、だ。冷静になるためにも離れようとそろりと布団から出ようと布団を捲ったところで指を引かれた。
「ぉはようさん」
声にぎくりと振り返ると緩く開かれた目蓋がゆっくりとした瞬きをしている。まだ半分夢の中に居るような薄く膜を張った茶色がとろりと撓む。
こうなったら逃げられない、というか何故か二人は手を繋いでいて、逃げようにも逃げられずに雪男は問うた。
「…どうしてあなたがここに居るんですか」
「夜ちゃんと寝れとるかなて見に来たら、『兄さん』言うて俺の手取ったん自分やん」
おかげで服のまま寝てもうた、と言う彼は確かに昨日見た服のままだった。
繋がれた指先に、雪男は顔に血液が上るのがわかった。
「…っ、それは、すみませんでした」
「ええけど」
恥ずかしさに雪男が早口で詫びを入れるも、志摩はまだ朧な瞳のままふああと大きな欠伸をする。
「それよか、まだ早くありません? もう少し寝ましょ…」
「え、」
雪男はもう覚醒していたし、寝るなら一人で寝れば良いと言おうとしたのだが、伸びてきた手に頭を捕らえられる。
ぐいと引かれて落ちた頭は、柔らかな寝具に落ちて衝撃などなかったけれど。
「んー、ええにおい」
頭を抱きこまれ、すんとにおいを嗅がれる。
確かに昨日入った風呂に準備されていた石鹸は甘い花の香りのするものだった、と動揺した頭で思い返す。
手に滑らせただけでふわふわと泡立ったそれはいかにも高級そうで使うのも抵抗があったが、それしかなかったのだから仕方ない。
そういえばゆったりとした浴槽に溜まった乳白色のお湯からもいい香りがしていた。
あれはなんだろう。雪男の国にはないものだ。後で聞いてみようか。
…と、そうではなくて。
「や、あのっ」
雪男が予想外の事態に軽く現実逃避をしている間に、もぞりと動いた志摩が雪男の頭に鼻先を埋めてきて、慣れない接触に雪男は更に混乱する。
昨日並んで歩いた感じだと彼は自分より若干背が低く、体格もそう変わらないように見えたのに、引き寄せる腕の力は寝ぼけているとは思えないほどの強さだった。腕をつっぱって離れようと試みるも、その抵抗を物ともせず益々胸の中に抱き込まれた。
「……っ!」
雪男が声にならない悲鳴を上げる。
と、
「なあにセクハラしとんのや!!」
「いったあ!」
がつんと良い音がして、叩かれた頭を庇った志摩からようやく雪男が逃れる。
急いでベッドの上に上半身を起こすと、見上げた先には笑いながらも青筋を立てた柔造が居た。
「おはよう雪男」
「柔造さん…おはようございます」
「なにするんや柔兄!」
「お前が雪男にセクハラしとるからや! しかも何や一緒の布団で寝とるなんて廉造のくせに十年早いわ!」
「これには事情が…て、あれ? 二人知り合いなん?」
「…やっぱり柔造さんの弟さんでしたか」
三者三様、お互いの人間関係に声を上げる。
だが、納得したらしい雪男、そもそも事情をわかっている柔造と違い、志摩は疑問だらけだ。国も違い年齢もだいぶ離れた二人の接点がちっとも見つからない。
「正十字行っとた時にちょっとな」
「え? なに、自分正十字行っとったん?!」
勢いよく振り返った志摩が雪男を見る。
「ええ、何で俺ら会うとらんの?!」
がしり、と雪男の肩を掴み、こんな美人を見逃すはずがない、と志摩が騒ぐ。
冗談なのか本気なのか。昨日から自分に不思議な言葉を投げかける志摩に、雪男は瞳を瞬かせるばかりだった。
「雪男は飛び級しまくりやったからな。もう卒業して医工騎士の資格も持っとるし」
廉造お前勉強でも見てもろたらどうや、て勉強なんかせえへんか、とからから柔造が笑う。
しかし至って真剣な眼差しの志摩は、柔造にとって予想外の言葉を吐いた。
「勉強、見てもらえますか?」
「はあ?!」
お前本気か?! と驚く柔造を余所に、志摩の瞳は雪男に注がれたままだった。
「…はい。ここではすることもないですし、よければ」
少しの逡巡の後、断る理由もなく雪男が頷く。
ありえん、と呟く柔造を余所に、やったー! と両手を挙げた志摩は瞳を輝かせた。
「よろしゅうな、先生!」
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